街並みガイドラインによる
美しい景観が広がる街づくり。
開放的な街並みと暮らしやすさ、
良質なコミュニティが育まれた新街区。
ここに住まう97家族のことを考えて、
住むほどに好きになる街を目指しました。
緑豊かな遊歩道の整備、電線地中化による広い空、
統一感のある外構デザインなど、
袖ケ浦景観形成推進地区に指定された美しい街づくり。
そして建物は、洗練されたデザインにこだわり、
全邸ZEH化により環境にも配慮。
97家族の想いをかなえ、
未来へとつながっていく街になることを目指しました。
開放的な街並みと暮らしやすさ、
良質なコミュニティが育まれた新街区。
ここに住まう97家族のことを考えて、
住むほどに好きになる街を目指しました。
洗練されたデザインと品質を誇る
大手ハウスメーカーの「オーダーメイド住宅」。
ご家族それぞれのライフスタイルにあった
自分たちだけの住まいづくりが実現します。
潮風の心地よさも、緑のやすらぎも、
日々の生活に欠かせない商業施設も充実。
みんな暮らしのそばに揃っているから、
便利で楽しい毎日に出会うことができます。
東京、品川、横浜、羽田空港など、
多彩なエリアへとつながる優れた利便性。
都心へのスムーズなアクセスはもちろん、
カーライフも軽快なロケーションです。
※bright=明るい、晴れやかな/terrace=住宅地、台地
袖ケ浦は、日本武尊(やまとたけるのみこと)とその妃である弟橘媛(おとたちばなひめ)に まつわる歴史ある地域です。
古事記によると、日本武尊は、全ての神の長である天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られている伊勢神宮にて、後に天皇の「三種の神器」の一つとなる、『草薙の剣』を授かり、東方の平定に向かいました。
彼らが三浦半島の走水から房総半島に船で渡ろうとした際に大きな嵐により遭難しそうになり、そこで妃である弟橘媛が船から海に身を投じて海神の怒りを鎮め、日本武尊の渡海を助けたとされています。
その弟橘媛の着物の袖(そで)が、この地の海岸に流れ着いたという伝説から「袖ケ浦」と呼ばれるようになりました。
因みに、木更津という地名も、悲しんだ日本武尊はしばしその地を離れなかったことから、「君(日本武尊)」が「去らず」から「きみさらず」→「きさらず」となったと伝わっています。
「この地に誕生する最上級の分譲地にふさわしいネーミングを」という想いと本計画のテーマでもあるリゾート、開放感、ゆとりといったキーワードを連想させる、
室内の空間を外部まで繋げた造りの事である「テラス」を選択し、併せて袖ケ浦の地名の由来にもなった神話の「天照大神」の“あまてらす”から連想し、
輝くテラス⇒「ブライトテラス」を本計画名としました。